最近は、WHOの手の届かない健康観よりも身近にあって毎日の生活の中の努力に見合う健康観が注目をあつめております。
鳥取大学の医学部教授の清水克哉氏は、次のように言っております。
『この健康観は、元気とか心地よいを意味する「Well」(ウェル)からきています。病気を意味する「illness」(イルネス)と対照的な言葉です。
この(Wellness)に単に病気がない状態を示す「ヘルス(health)よりも、「健康を作っていこうとする日々の実践的努力や充実感を大切にしています」という点で、積極的、総合的でダイナミックな健康観を表現しているといえます。』
このように、ウェルネス健康観は、自分が病気やからだの障害をもっている、あるいは、いないということで健康を評価するわけではないし、また、若いとか、体力があるといった状態や機能によって評価するものでもありません。
大切なことは、
このように自分を良い方向に改善するために、積極的な姿勢でのぞむのです。
一回しかない自分の人生を「自分が納得できるように過ごしたい」という願望を大切にして、そのための努力をしようというのです。
健康でありたいと願う心は、自分が望んでいることがやりたいから健康が大切なのであって、健康のために努力する訳ではありません。健康を維持したり、改善する努力は、自分が想うような人生を送りたいがためのものであって、健康になることが目的ではないのです。
手段(健康)と目的(豊かな人生、悔いのない人生)をはき違えてはなりません。ジョギングもウォーキングも、また、アスレチックジムでの体力づくりも、自分の”想い”を実現するための資本の蓄積なのです。
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